第9次訪問団:活動内容報告書


ブータンの地震防災について考えたこと


今般,思いがけず,京大-ブータン友好プログラム第9隊の一員としてブータンを訪問する機会を得ることができた。「地震」をキーワードとする研究を専門とする者として,ブータンと地震の関わりについて彼の国で見聞し,感じたことを書きとどめておきたい。今回,我々は,山本隊長の報告にもあるように,ハ,プナカ,ワンデュポダン,ティンプー,パロを訪れる機会を持った。山本隊長のお取り計らいで,ハでは,近郊の地震の被災地の視察,また,首都ティンプーでは地質鉱山局に新規に設置された地震部門(Seismology and Geophysics Division, Department of Geology and Mines, Ministry of Economic Affairs)の責任者であるDowchu Drukpa氏との面談を行うことができ,大変有用な情報交換を行うことができた。
ブータンは,ネパールなどとともに,インドを乗せたプレートがユーラシアプレートに衝突している地域に位置している。インドがぐいぐい押し続けているからヒマラヤはここまで高くなった,というようなことは,特段地学を専門とする人でなくてもよくご存じのことである。このように,ブータンも日本と同じくプレートの収束型境界に位置するのだから,地震活動は活発で地震災害の頻発している国なのだろうな,というのがこれまでの私のつたない知識からの認識であった。実際,2009年9月にブータン東部を震源とするマグニチュード6.1の地震で10名を越える死者が出る被害が発生し,また,2011年の同じく9月には,西隣りのインド・シッキム地方を震源とするマグニチュード6.9の地震により,幸い死者はなかったものの,ブータン西部を中心に建造物に大きな被害が発生している。
しかしながら,実際に現地を訪れて各地の建造物を見ていると,どうも歴史的に地震災害が頻発してきたわけではないのかもしれない,という思いがわき上がってきた。ブータンには,1600年代に国が統一された際に当初は城塞として建築されたという各地のゾンをはじめとする,多くの歴史的建造物が残っている。これらの建物は,どう見ても地震の揺れに強そうな建造物には見えず,これらが現存しているという事実は,この国がこの数百年間,偶然,幸いにして大きな地震に見舞われなかったことを示しているのではないか,ということに思い当った。前述のDowchu Drukpa氏の資料によっても,1900年以降,ブータン国内に震源を持つマグニチュード6以上の地震は,2009年の地震を含め3個にすぎない。今回視察をさせていただいた,ハの西部に位置する,Tshenka村や,Yang-tan Lakanの2011年の地震による被災の状況をみても,もしも地震活動が定常的に活発でマグニチュード6クラスの地震が頻発するのであれば,同様の被害がもっと多くの地域で記憶・報告されていて然るべき,という印象を持った。
地質鉱山局でのDowchu Drukpa氏との面談では,氏が中心になって設立された地震部門の今後についての情報交換が中心となった。地震部門は,国が運営する地震観測網を構築し,これを基盤に,地震活動の監視,サイスミックマイクロゾーニング(地盤の地震応答のマッピング),建造物の耐震化の基準の作成,等に資することを目的としている。基盤となる地震観測網の構築に関しては,現在,日本の研究機関との協力により,構築の第一歩が始まりつつあるところであり,地震観測データの解析のノウハウを得るための日本からのさらなる協力を求めておられる。筆者は,地震観測網の構築から,そのデータ処理,地震活動の監視等を最も専門とするところであるので,今後,日本の関係機関の研究者とも連携を取りながら協力を行う可能性についての議論を行った。
地質鉱山局を辞した後,ブータンの活断層を研究している日本人研究者とお会いする機会があった。その方によれば,ブータンには,過去数千年以内に活動したと考えられる断層が多数みられるという。これを伺って,ブータンは今,偶然,地震の静穏期にあるのだという思いをさらに強くした。地震活動に活動期と静穏期が見られることは他の地域でもよくみられることである。もしも,ブータンが,建国以来の400年間を地震活動の静穏期という幸福な時代の中で発展してきたのであれば,いつ活動期に転ずるかもしれない地震活動によってもたらされる大きな地震への防災対策を立案することは喫緊の課題であると思われる。2009年や2011年の地震が,地震活動の静穏期から活動期への転換の予兆でないことを祈りたい。

防災研究所・地震防災研究部門 大見士朗